
パパは清原和博になれたのか!?あれが奇跡というのなら私はその時、持っていたとしかいいようがない。目の前でとんでもない「まさか」が起こったのだから。この話は実話である。
この物語は息子(現小4)の夢・甲子園へ辿り着くまで(予定笑)の汗と涙の実話である。
〓憧れの甲子園まであと8年6ヶ月。
万が一甲子園出場が決まった場合、選手の名前を公表してしまおうという企画である。
野球ド下手くそパパ

わたしは野球バカ。特に高校野球。高校野球の素晴らしさは選手の一生懸命さだ。負けたら終わりギリギリのところで戦う姿に感動を覚える。春の選抜や夏の甲子園は自分のことのように熱くなる。
昔から地方大会に息子を連れて見に行くなど、高校野球の熱さを家庭で多く語っていた。そんなこともあって小学校の息子が影響!?され野球を始めた。
ちなみに
私の野球経験は小学校4年生から6年生までの3年間のみ。
今でこそ野球が好きだが、当時は親からのやらされ感100%でルールもわからず、まったくやる気がなかった。
そんなことだから当然補欠で背番号は最高で”14”であった。お世辞にも野球がうまいとは言えなかった。
野球をやる子供のだいたいはお父さんが野球部でその影響で入部するパターンが多い。
私は息子に野球を教えられない下手くそなパパである。
そんな状況ではあるが、やりたいことはさせてみようということで入部させた。
まさかのオファー

息子が野球を初めて数日後、町内会の区長さんが家に来られ
「毎年恒例の町の野球大会で人数が足りず困っているので参加してくれないか?」との熱烈なオファーがあったのだ。
※いや決してオファーではない笑
それを隣で聞いていた息子が
「パパの試合見たい!」
「パパは絶対打つよ!」
などと謎の言動を区長に放ち、テンションMAXになりハリキリだした。
息子はもちろん
私が下手くそなのは知る由もない・・・。
正直120%参加したくなかったが、嫁が「あんなにパパの試合を見るのを楽しみにしているから行ってちょうだい」「息子が野球を始めたばかりだからパパの活躍する姿見せてきて!」など
私が悩んでいるのも知らずに無責任なことを言いやがる。息子の期待を裏切ることもできず渋々参加を決めた。
しかしこれはやばいぞ・・・。
野球大会当日・・・

いよいよ野球大会当日である。
息子が少年野球の練習で来れないことが発覚したのだ!正直ホッとした。
危なく親父の威厳形無しとなるところであった。よかった!よかった!
息子に「パパのホームラン見れなくて残念だったね!練習頑張って来いよ!」などとふざけて言ってやった!
息子は来ないが、区長に参加を表明していたために軽いノリで大会に向かった。そしてグラウンドに行って愕然とした。みんなユニホームを着用していたのだ。私だけジャージである・・・。
ユニホームを着ているということはどこかの社会人やクラブチームなんらかのチームに属しているからだろう。みんな野球経験者。私・小学校以来・・・。しかもチームは毎年ベスト4以上入る強豪らしい。場違いにも程がある。やはり来るんじゃなかったと大後悔した・・・。
そんなこんなで野球大会開幕
ホッとしたことがあった。人数少ないとはいえチーム12名ほどいたのだ。野球は9人でやるスポーツなので出番は無いと思った。
さすがは毎年ベスト4以上のチームである。ピッチャーのストレート・カーブの制球が抜群で初戦・2回戦も余裕で勝利したのである。次はいよいよ準決勝である。
ここまでわたし?もちろん出場しておりませんよ!出場拒否のオーラを出していたと思いますから笑。あえて監督(形だけ)の区長さんと目をあわせないようにしていた。
そんな区長さん変に気を使ったのか、
「次の試合〇〇さん行くよ!」
と言いやがったのだ。「え?次準決勝ですよ?」と問いただしたところチームの状況を見て代打ということだった。おそらく点差が開いている勝ち試合で代打ということだろう。
まさか息子が来る
突然、カミさんからLINE(ライン)が入る。
息子が練習中に軽く体調不良になり早退したという。しかもパパの試合見たいからこっちに来るというのだ!
「 嘘でしょ!なにもこんな絶妙のタイミングで来なくてもいいだろう。とほほほ・・・。」
そんなことで準決勝が開始した。が思いのほかシーソーゲームとなる。これは代打も無いかもしれないな。まだ息子は到着していない。このまま終わってもいいと思っていた。
そんなとき、ランナーを2塁に置き、まさかの代打のコールが・・・。
「代打 〇〇さん!」
区長が変な気をつかったのだろう。人数が少ないからと強引に誘い、貴重な休日に来てもらって一回ぐらいは出番を作らないとと考えてのことだろう。そんなのいらないのに・・・。しかもこんなシーソーゲームの大事な場面で代打とは全くツイていない。
わたしは息子がまだ到着していないだろうな!と思いながらグランド外を軽く見渡した。するとなんと・・・。
たった今息子が到着した模様・・・。
しかしこんな絶妙すぎるタイミングで来るかね。わざわざ軽い熱中症にかかりそしてパパの赤っ恥を見に来たのである。最悪だ。
しかし、しょうがない。もはややるしかない。ついにバッターボックスに向かう。少年野球以来のバッターボックスである。
赤っ恥か?奇跡は起こるのか!?

この試合はただの草野球ではない。直球だけではない、変化球も来る。私、背だけは183cmあるため、バットを構えるとそれなりに見えるかもしれない。まぁ遊んでは来ないだろう。ましてやこのシーソーゲーム甘い球は少ない。などとほんの一瞬でそこまで考えていた。ではどうする?
「清原和博のようなフルスイングをしよう!豪快な三振を息子に見せようじゃないか!それしかない」
そんな気持ちになったら急に楽になった。
そして
ピッチャーセットポジションから投げた!
1球目:見逃しストライク。速いストレートが来た。十何年ぶりのバッターボックスだから初球は見ると決めていた。
2球目:ファール。速いストレートにフルスイングをするもかろうじてファールが精一杯。早くも2球で追い込まれる。しかし早、早い・・・。
3球目:ボール。カーブが結構高めにすっぽ抜けたので見極められた。やはり変化球も使ってくるか。次はストレートか変化球か?どっちや?
ふっと息子を見たら「パパ頑張って!」と必死で応援してた。
4球目のことだった・・・
あまりのことでうる覚えだが、ストレートだったと思う。フルスイングした。
ビヨンドバットにボールに当たった感触が全くなかったから、どうなったのか一瞬わからなかった。バットの真芯を捉えたのだろうか。
ホームランだった。
左中間の深いところに突き刺さった2ランホームランであった。
放心状態でベースを一周している。
息子はよほど嬉しかったのだろう。グラウンドに飛び出してきてホームベースで待っていた。
「パパ!パパ!俺のパパがホームラン打った!」
って大声で叫んでいて、ハイタッチした。ギャラリーも味方のチーム・敵チームまでも沢山の拍手をいただいた。
生まれて初めてのホームランがこんな場面で・・・。しかも初打席で奇跡は起こった。最高だった!
気分はまさにあのとき甲子園でホームランを打ったPL学園の清原和博だった。
清原和博さんに感謝!

引用:asahi.com(朝日新聞社):恒川直俊 記録で読む甲子園「清原和博選手の13本塁打の全打席」 – 高校野球
奇跡のホームランから数年後・息子は背番号”1”となった。
パパの最高背番号”14”を大幅に越えた。