もし息子が高校野球やっていたらどんな監督さんに預けたいでしょうか?全国には名門そして強豪と呼ばれる高校がたくさんあります。名将と呼ばれる監督や現代野球を取入れるアイデアあふれる監督も出てきました。
甲子園を本格的に好きになったのは横浜高校・松坂大輔が春夏連覇を成し遂げたあたりです。負けたら終わりギリギリのところで繰り広げられる熱い戦いを食い入るように観ました。勝っても泣き、負けても泣くという高校野球が大好きである。
前置きはこれくらいにして、
もし息子が高校野球をやっていて、技術はもちろんのこと人間としても大いに鍛えて頂けそうな監督を勝手に選抜してみました。本日はそんな失礼極まりない話である。
香田 誉士史(元・駒大苫小牧)

2004年夏、監督として同校を北海道勢初の優勝へ導くと、2005年夏には田中将大を擁し史上6校目の2連覇を達成。3連覇を狙った2006年は準優勝だった。
現在は高校野球を離れているが、香田監督の熱さは今でも鮮明に覚えている。選手が打ったとき、守ったとき、選手と一緒になってベンチから飛び出すのではないか!と思うほどのガッツポーズをしていた。
冷静を装う監督が多い中で喜怒哀楽を全面に出す、こんな監督いないでしょうね〜。選手の活躍に、あんなにも喜んでくれて泣いてくれて選手はやりがいがあったでしょう。
行く言葉が美しければ 返る言葉も美しい人生はキャッチボールのようなものいい球投げればいい球返り思いやり投げれば絶対球が返るのです最後まで、粘り強く、 道産子の意地を見せてくれました。by駒大苫小牧 香田監督 pic.twitter.com/jxJoqrGiE3
— 甲子園名言bot (@no1ofus) 2015, 12月 27
一番は冬のハンデを試行錯誤しながら克服してきた不屈の精神だ。
気候に恵まれた地域の野球部には絶対に負けない。を合言葉に、どこからかともなくブルドーザーを調達し冬の吹雪の中グラウンドで強引に練習をしたとか。
そんな香田監督の熱い気持ちが選手の背中を後押ししたのでしょう。
こんな熱すぎる監督さんに息子を預けたいものである。
高嶋 仁(智弁和歌山)
引用:http://laughy.jp/1438141867337167705
甲子園最多63勝。甲子園では3度全国制覇をしている。高嶋監督と言えば腕を組んでの仁王立ちだろう。アレをするようになってから甲子園で勝ち始めたのだとか。智弁和歌山の素晴らしいところは少人数制・学年で10人ほどで野球部が作られていること。少人数なので一人一人に時間を注げられ、愛情をたっぷり注入している。
一部では鬼の高嶋と呼ばれていた時期もあったようだが、いやいや待ってくれ。野球を離れれば優しいお父さんである。野球部室での選手との笑いある声かけに感動した。そして涙もろい一面も・・・。それぐらい選手を愛しているのだ。
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そんな厳しくも愛情たっぷりの監督さんに息子を預けたいものである。
佐々木 洋(花巻東)

引用:来た!来た~!! | 古城茂幸オフィシャルブログ「古城茂幸の活動日記!」Powered by Ameba
大谷翔平や菊池雄星などを輩出し名門の仲間入りをした。佐々木監督と言えば、野球=人生と位置づけし、野球での取り組みを人生に活かせるよう指導されている。そういった思想の軸が「ライトまで駆け抜ける姿」や「人のミスのカバーリングの徹底」につながっているのだ。
『義務と権利』
ベンチ入りした20名は
ベンチに入れなかった仲間たちの分も
全力でプレイする義務がある
ベンチ入りできても
打席に立てない仲間もいる
グラウンドに立ったものには
全力で走り抜ける権利がある
『義務と権利』
その言葉を忘れるな

野球だけではない人生の勉強までさせて頂ける監督さんに息子を預けたいものである。
百崎 敏克(元・佐賀北)

2007年に全国制覇。わたし的に佐賀北の甲子園優勝がNo1だ!練習時間は限られ、専用球場も無い、どこにでもある公立野球部である。しかも進学校でありながらなぜ全国優勝できたのだろうか!?
それは監督さんが佐賀北を応援したくなるようなチームを作ろうをモットーとし、たかだか3アウト取っただけでもまるで優勝したかのような喜びを選手は披露する。そんな積み重ねがファンを拡大させ甲子園を味方にした。無名の学校が何度も崖っぷちに追い込まれながらも強豪私立校を撃破していく。そんな過程は漫画のように実に爽快でした。
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また選手にお利口はいらない、不平不満結構!それがエネルギーとなるなど独自の教育理論で選手を指導。
そんな心の広い、そして伝説チームの監督さんに息子を預けたいものである。
野々村 直通(元・開星)

開星を春2回、夏7回、甲子園へと導いた。2010年センバツでの「末代までの恥」発言で監督辞任。約8000人の監督復帰嘆願の署名が集まり、翌11年4月から監督に復帰。またの名をやくざ監督と呼ばれる。現在は「山影のピカソ」と名乗り、画家としても活動。
こんな異色の監督さんはどこ探してもおられまい。
ちなみに愛車のナンバーは5589(コーコーヤキュー)。人一倍高校野球を愛しておられる。指導法もやはり変わっていて選手を神風特攻隊で有名な江田島へ連れていき、当時の遺書を見せる。
死を見せずに生は感じられない。野球をやりたくてもできなかった人たちがいる。そういう人たちの為にも、当り前のことに感謝し、今の一打席、この一球にまごころを込めて野球をやらにゃ申し訳ない。命を惜しまず玉と砕ける。その精神なくして本当の力は出ない。それが玉砕精神ですよ。
だいぶ古い記事だけど、ジャイアンが育成蹴ってトライアウトに出る決断をしたのは、この教えが根底にあったから…なのかもしれない。/開星の“やくざ監督”野々村直通氏が、DeNA梶谷に送るアツすぎるエール。 #numberweb https://t.co/r7FMPDmCha
— いもとえび(やさい) (@viajero_moon) 2015, 11月 17
こんな男気・ヤクザ監督に息子を預けたいものである。いろんな意味で素晴らしい経験をさせてくれそうだ。
