過去7度甲子園に出場するも、すべて初戦敗退というレアな記録を作った監督さんをご存知でしょうか?
先日、テレビ朝日系で放送された「激レアさんを連れてきた」に盛岡大付属の前監督、澤田氏が出演されました。そんな澤田氏が甲子園7連敗した衝撃の理由とは!?
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1連敗目:95年 高知商業(高知)「新婚浮かれ負け」
ある勘違いからとんでもないミスを連発してしまいます。プロ野球・元西武の小石澤投手を筆頭に臨んだ初めての甲子園!
澤田氏は平成7年第77回大会に結婚され、縁起がいい「おれの為の甲子園じゃね?」完全に新婚に浮かれていたという。甲子園初出場にも関わらず、全く準備をせず試合を迎えました。その結果、5-7で敗戦。。
「舞い上がっていた・調子に乗っていました」「勝つ為のJK(準備確認)不足を全くしなかったのが敗因」と肩を落とした。
また選手以上に緊張し声も出なかったとか。。試合中エースの小石澤が打たれても声すらかけらない状況だったという。
澤田監督の緊張は試合後も続きます。試合後の監督インタビューで全国の高校野球ファンを敵にまわしてしまいます。
「小石澤が最悪の出来、最後までダメだった」
あろうことか、負けをエースのせいにしてしまったのです!
地元に帰ると。。「なんでバントをしないんだ?」というクレームの嵐。大炎上が待っていました。初出場の甲子園は波乱の幕開けとなったようですね。
2連敗目:96年 東筑(福岡)「炎上トラウマ負け」
県大会では相手に1アウトをプレゼントするという考えが嫌だったからバントをしなかった。しかし前回甲子園出場時に「なんでバントをしないんだ?」という大炎上したクレームを思い出し、県大会でもしていない・練習もしていないバントで大失敗。0−2で敗退した。
名付けて!炎上トラウマ負け!
3連敗目:01年 近江(滋賀) 「ビデオお取り寄せ満足負け」
JK(準備確認不足)の反省から、敵チームのビデオを取り寄せて研究・・・のはずでしたが、取り寄せたことに満足。「深夜の通販の感覚で見てしまった」と猛省。ビデオをみて「十分勝てるレベルだな」と安易に思ってしまったという。
名付けて!ビデオお取り寄せ満足負け!
4連敗目:03年 横浜(神奈川) 「手の内見せ過ぎ負け」

岩手は雪があるので練習ができず、親の遺産を使い沖縄キャンプを決行。そこにはセンバツ対戦相手の横浜高校の偵察部隊が来ていた。。
しかし澤田氏はあろうことか横浜高校偵察部隊にコーヒーとイスを用意し「遠くで見ずに近くで見てください」と接待をしたのだ。名門の横浜が偵察に来てくれて舞い上がったのだという。強豪・横浜に手の内を丸裸にされ0−10の惨敗。
名付けて!手の内見せすぎ負け!
5連敗目:03年 福井商(福井) 「2択を間違えベタな采配ミス負け」
甲子園出場5回目にして最大のチャンスが訪れました。9回の時点で6-6の同点。9回裏盛岡大付属の攻撃、先頭バッター出塁しノーアウトランナー1塁というサヨナラの大チャンス!ここで澤田氏は世紀の選択を迫られます。
1.バントで送って1アウトランナー1塁にするか?
2.強行で打たせるのか?
しかし今迄のことを思い出しました。甲子園初出場時はバントをしないで失敗。2回目の出場時はバントをして失敗している。
ここで「勝負するのが男じゃけえ」とバントをせず強行します・・・結果凡打でアウト。セオリーでは送りバントだったという。結局、延長10回で力尽きました。
ここ一番で2択を間違え、ベタな采配ミス負け!
6連敗目:04年 明徳義塾(高知) 「偵察行ってションボリ負け」
澤田氏ここでもJK(準備確認)のため、自ら偵察に行きます。明徳義塾を丸裸にしてやろうと意気込んで行ったのですが・・・明徳のバッティング練習、場外弾連発の光景に絶句します。
あまりの実力差に自信を無くして「ションボリ」帰ってきました。その自信の無さが選手に伝わり2−15のボロ負け。試合が始まるまえから戦意喪失だったようです…。
偵察行ってションボリ負け!
7連敗目:08年 駒大岩見沢(北海道)「実力を出し尽くして負け」

今回の甲子園で監督を引退しようと決意していたという。最後の挑戦となった甲子園は万全の状態で敗戦。実力をすべて出し尽くして負けたと逆に潔かったですね。
結局、甲子園で1勝もできぬまま、監督を退きました。
しかし…この7連敗が未来の盛岡大付の肥料となったことは言うまでもないでしょう。
甲子園7連敗の監督・澤田真一とは。

名前:澤田真一(さわだ しんいち) 現在同校の教頭。
年齢:52歳 2018年3月時点
出身地:岩手県釜石市
高校:岩手県立釜石北高等学校卒業
大学:東北福祉大学卒業
・東北福祉大学では外野手、後輩には阪神監督の金本や大魔神佐々木とも一緒に野球をしている。
・1991年に岩手県盛岡大学付属高校へ。野球部の監督に赴任(当時25歳)。
・道具もバット3本とボール20個からスタート。部員も9人。。
・野球部の予算が無かったため、親の遺産数百万円を使い込み運営。
・赴任4年後に初の甲子園出場へ。
・過去甲子園に7度出場するもすべて初戦敗退という伝説をつくる。
甲子園7連敗という負の遺産を築いたものの、教え子たちの信頼は厚い。口々に「素晴らしい先生でした」と言う。
最後に、盛岡大付属・現監督、関口氏の名言

引用:盛岡大付・関口監督に聞く“大谷2世”松本裕樹の実力と素顔|日刊ゲンダイDIGITAL
澤田氏の後を関口清治さんが監督を引き継ぎました。その後・・・。
2013年にセンバツ初勝利。
2017年はセンバツ・夏の甲子園ともベスト8 を達成。
そんな関口監督が名言を放ちます。
これまでの負けの経験があったからそれを対策し成長できました。その基礎は澤田先生がつくってきたもの。甲子園での初勝利は澤田先生のおかげです
この名言には泣きました。いまの盛岡大付属の強さがあるのは澤田前監督の下地があったからこそなのですね。。高校野球ってやっぱり素晴らしいです。 最高です〜。