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AQOL

「あとひれ・クオリティオブライフ!」他人の時間ではなく自分の時間を生きる。目指すぜ!QOL100%。

愛(ai)を感じるときはどんな時?凹んだとき・苦しいときこそ〇〇が欲しい。

回復

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先日久しぶりに実家に帰省。そんな時、愛を感じる出来事があった。

 

布団をかけてくれた

 

これはどこにでも当たり前のことかもしれない。親は所詮2人ですし、世間の普通がわからないからなんとも言えないが。

 

ただ言えることは子供の頃、あまり感じなかった、おそらくスルーしていたであろうことが今の歳になって気づかされることが多いこと多いこと。。

 

今の病気になってから愛のアンテナ感度がよくなった気がする。スルーせず感じられることがうれしい。最近の愛を書こうと思う。

 

 

母ちゃんの「可哀そうに」

一見情けないのだが、母ちゃんのこの言葉に救われた。

 

 

母ちゃん、今日職場でこんなことあってさあ、深夜まで働いたよ・・・

 

 

なんたら・・・可哀そうにな・・・。

 

 

 

聴いてくれた、受容感が半端ではない。母ちゃんは傾聴の達人だな。その後とくに何をしてもらうわけではないのだが、この受容感にとても愛を感じる。そして心が回復するのがわかる。

 

 

父の「ガサツな差し入れ」

ハッキリ言って父さんはガサツで、適当で、たぶんわたしの誕生日すら忘れている!?と思う。

 

昨年、わたしが激しい発作を起こし、救急車で運ばれ自宅療養をした時のこと。

 

わたしを心配し大量の食料を差し入れてくれたのだ。正直中身は酷かった。病気なのに寿司、お好み焼き、ケーキ、唐揚げ、お菓子など、療養中に食べれるような代物ではなかった。こんなにも意味不明な大量の差し入れなのだが、父さんの気持ちが嬉しかった。

 

情けない話だが、人は辛いとき「心配して欲しい」「温もりに触れたい」いわゆる愛に触れたいのだと思う。

 

息子からの「ありがとう」

 数年前?に息子からもらった「ありがとう」。もうクシャクシャですけど、この一言に救われている。おそらく父の日か何かで強引に書かされたもの!?だと思います。しかし人間というのは単純で下手くそだけど自筆のありがとうを見ると心が回復する。

 

凹んだときいつでもみられるよう、車のサンバイザーに飾る。

 

 リア充よりも凹んだとき、苦しいときこそ愛の感度があがる

生活が充実しすぎているときは愛の感度が弱まる。それは悪いことでもなんでもない。人間は体力に限界があるように、見えないが心にも限界がある。

 

その心のメーターが弱まったとき、反比例して愛の感度が上がるのだとおもう。凹んだとき苦しいときこそ愛を感じたいのだ。

 

リア充のときも愛の感度を保ちたい。

世の中にあふれる愛をもっともっと感じたい。