AQOL

「あとひれ・クオリティオブライフ!」他人の時間ではなく自分の時間を生きる。こころについて探求・高校野球をこよなく愛するブロガー。

恐ろしすぎる夢。「東日本大震災を忘れてないだろうな」というメッセージなのか!?

こんな事をブログで綴るのもどうかと思うのですが、今朝方に見た恐ろしい夢を書きたいと思う。

※夢なので意味不明!?なところもあります。

 

 ある晴れた日に

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 ある晴れた昼間に1人歩いていると突如として周りがザワついていた。そうしているうちに60代は過ぎているであろう男性が「津波が来るから逃げろー」の甲高い声が辺りに響いた。

 

この歩いていた地点は、海にも近く海抜も低い。心臓はバクバクで腰が抜けそうなほど、なんとも言えない気持ちになったがとにかく逃げねば。

 

 津波

海を見たらこんな天気の良い日に荒れていた。これはマジでヤバイと思い高台へ走る。走るのだが後ろから「来たぞー」の声が響き渡る。振り返ると巨大な波がもうそこまで来ていた。

 

走っても走っても波は追いかけてきた。後ろを振り返る余裕は無かったが、明らかに建物が壊れる音と悲鳴が後方より聞こえていた。もし見てしまったら、さぞ悍ましいものを見てたであろう。しかしこんなとき、火事場の何とかじゃないが信じられない力で走りなんとか波から振り切る。

 

家族

その後一旦高台の工場になんとか避難をした。しかし今度心配なのは家族の事である。「生きているだろうか?」不安でいても立ってもいられなくなる。うちは嫁と中学校の長男、小学生の次男がいる。

 

時間的に中学校の長男は部活をやっている時間だし高台にある中学校は大丈夫だろう。しかし嫁と次男は・・・下校途中か家か・・・。一刻も早く行かねばならない。しかし津波の第二波も来る可能性は高い。そんなことはいい、行かねば。リスクを承知で家の方面へ向かった。

 

 無事合流も

家へ向かうこと数10分なんとか辿り着く。今のところ家は無事だ。中には嫁と次男が震えていた。しかしこの家も高い津波が来た場合は危険がある。言葉を交わす暇もなくすぐに嫁と次男を車に乗せ避難を始める。

※車での避難には賛否両論があります。

 

しかし車を運転してすぐに第二波が迫ってきたのだった。第一波よりも明らかに巨大な津波である。おそらく家は流される。そんな中数百メートル先では車の大渋滞が見えた。「車は無理だ」2人を車から下ろして逃げる。逃げる逃げる逃げる。もう波はそこまで来ている。

 

走っている目の前に少し高い木のあるバスの待合室が見えた。「あそこに登れー」と掛け声をかけた。次男は運動神経がよく軽快に木を登る。私もなんとか登れたのだが嫁はなかなか登れない。焦る焦る焦る。波は足元まで来ていた。手を貸しギリギリのところで最悪の状態を回避した。

 

第三波

第ニ波をなんとか乗り切ったが、ここも危ない。波が落ち着いたら他の高台を探そう。そして木から下りて次の高台を探そうとした矢先に第三波の声が・・・。


第三波も巨大で「ゴーゴー」という濁音を立ててすぐ後ろまで迫っていた。次男はリレーの選手だけあって足が速い。それに釣られて走る走る走る。約100m先高台のセキスイハウス(なぜかセキスイ)のアパートが見てた。「あそこに逃げるぞ!」

 

なんとか辿り着くと2階に逃げ込む。この高台、しかも2階は大丈夫そうだ。ちょうどセキスイ社員さんが避難所として解放しようとしてくれていた。「これで助かった〜」

 

と安堵したのも束の間だった。

隣にいた次男が言った。

 

「パパ、ママがいないよ」

 

妻の姿はすでに無かった。

 

 

怖くて起きる

早朝は4時に目が覚めた。汗はびっしょりである。なんという恐ろしい夢だろうか。当たり前ではあるが隣で寝てる妻と次男を見て安心した。

 

こんなTweetが

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今朝方こんなTweetを見つけました。東日本大震災から8/30で2,000日を迎えるそうである。わたしは仮にも2011年から3年間被災地で復興支援のお仕事をさせていただいた。

 

被災者の涙や悲しい話もたくさん聞いてきた。しかし今では被災地を離れ普通のサラリーマンをしている。震災から5年半経ちそんな私ですら記憶が薄れてきていたのは事実だった。夢を見てすぐにこのTweetを見つけた。偶然か?必然か?それはわからない。

 

しかしそんな私に誰かが

「お前忘れてないだろうな」

というメッセージだったのかもしれない。