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「あとひれ・クオリティオブライフ!」他人の時間ではなく自分の時間を生きる。こころについて探求・高校野球をこよなく愛するブロガー。

やがて幸せにつながるかもしれない「本能と理性について」

生きていると嫌なことの方が多いように思います。そしてネガティヴな部分にフォーカスして日々を過ごしがちです。しかしこれは人間が持つ防衛本能の1つであり、みんなが持っているものです。なぜならば、人は傷付きたくないのです。


 
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ココロの傷も身体の外見的な傷同様に脳が危険を察知しアラートを出しているのだと思います。いわゆるココロの傷もある意味命に関わるくらい脳が重要視しているということです。ネガティヴな事をどう回避するか?を一生懸命自動的に脳が考えるように促しているのだと思います。ですからネガティヴになることも「それはそれでいいんです」本能ですから。
 
 

本能と理性

一方人間には理性がある。動物とは違って考える力があります。
 
横道にそれますが、昔学校の先生が言っていたのを思い出す。
 
「いじめをする奴は動物と一緒だ!動物にも外見が他と違うことなどでいじめがある。いじめは人間も含めて動物の本能なのかもしれない。しかし人間には理性がある。考える力がある。その理性を失い本能のまま人をいじめることは動物と一緒。いじめている人をそういう目で見なさい」
 
 
我が家の片目ない金魚が他の金魚に突っつかれるなどしていじめられております。本当可愛そうです。
 
動物がいじめをする理由として生物学的にも社会的地位や優位性を保つ為?子孫繁栄の為の自己防衛本能?いろんな説があるようです。 そして残念ながら私たち人間にもいじめを行うことについて本能として持ち合わせているようなのです。
 

 
 
本能と理性・・・。
この2つは人間にだけ与えられたものである。いじめが本能なのはわかるが、人間として理性がある以上絶対にNOである。今でもいじめをする方を見ると「本能のまま生きてる金魚ちゃん」と心の中で思っている。
 
その先生は、道徳ある理性の重要性を説いたのである。
 
 
すみません、ここで軌道修正させて頂いて。
 

理性の欠如

この本能についてフォーカスして参りましたが、せっかく人間に生まれたのですから本能だけに偏らず、理性の比率をもっとあげたいと思う。
 
 
美輪明宏さんの
人間は不幸の数は数えるが、幸せの数は数えない
 
 
という名言がありますが、
不幸を数えるのは本能(防衛本能)、幸せを数えるのは理性だと思います。ただ本能は変えられないですし、脳が私を守ろうとしてくれていることなのでそこはありがたいと思いながら。ただ良い方に考える力、その筋肉が私にはまだ足りないのである。
 
本能と理性。共存共栄、バランスよくありたいものです。
 
せっかく人間に生まれたのですから小さくてもいい、幸せを意識してアンテナを張り、たくさん感じたいと思います。
 

最後に

アンテナを張ると幸せって以外とスルーしていることに気付く。小さいけれども幸せを見つけてニヤけている自分がおります。もし道端で怪しい笑みをしている人がいたら私だと思ってください!
 
 

 
まったくブレブレの話でしたがどうもありがとう。今日は天気が良くて最高で〜す!あとひれ。